平成の終わり、人生の行き止まり
久しぶりです
もう二年近く更新してなかったんですね。
前回の記事を書いたのがごく最近のことのように感じるパスタです。
今日は雑記です。ツイートするには長いので、ダラダラと愚痴ります。
ひとまず近況報告でしょうか。
あと数時間で令和が始まり、僕の大学生活はもうすぐ終わりを迎えます。
今まで無限にあった、あるいはあるように思わされていた可能性、進路が急速に収束していこうとしています。
結局、僕は大学院に進学することを選択しました。興味が沸き、かつ現実的なテーマの研究が中々見つからず、苦悩していたのですが、どうにかして”やってみたい”と思えるテーマを取り扱う研究室を見つけることが出来ました。
その研究室を抱えている大学院の難易度が高いので必死で今までごまかしごまかしやっていた勉強を詰める作業に入っています。正直受かる気がしませんが、とりあえずやるしかないので不安で吐きそうになりながら勉強中です。
長いようで短かったこの人生、特にこの大学生活。
私はなんとなく好きなことを学び、好きなことをして遊んで、友達を作って、恋人…はできませんでしたが、まぁそれなりに謳歌してのうのうとここまでの3年間過ごしてきました。そして大学院という今までの”学生”とは異質の研究者としての訓練プロトコルとそれに向けての試験を目の前にして、僕はようやく”自分の人生の選択”を迫られていることに気が付きました。
今までの人生での”選択”というのは基本的に人生に幅を持たせるモノ、あるいはそう謳われているものでした。
今回の選択は”収束”です。何かを選ぶことにより、選ばなかった未来を捨てます。
良い中学に行けば、いい大学に行けば、勉強すれば、こういう経験をすれば、将来色々なことが出来る、いい選択肢が持てる。そう言い聞かされてきました。
ぼくは勉強も、運動も、嫌いじゃなかったし、強制されないそれであれば楽しかったので、喜んでそれに興じました。
中学は受験の意味を感じなかったので、好きなことしか勉強せず、何とも言えない中学に行くことになりました。中高一貫で、それなりには楽しかった記憶があります。
今度は高校のセンセに先のようにそそのかされて俗にトップクラスと言われる大学群を受験する羽目になりました。
受験は嫌でしたが、やりたいことが出来るようになる、選べるようになるよと言われて体調を崩し、精神をおかしくしても、「お前には無理だ」と親に言われても、それでも勉強しました。
結局第一志望としていた大学には受からず、今の大学に来ました。
大学院に行って研究すると息巻いていた僕は、親を納得させる為に、進路的な幅を持たせる為に教職課程を取りました。
ここら辺からすでに”収束”は始まっていました。
教職課程を修了するには余分におおよそ30ほどの単位を納めなければなりません。
4年生で実習に行くことを考えれば、3年までにそれらを全て納めていることが理想、前提になります。
所属科の必修が多いのも合わせ、僕の時間割は高校生の頃のそれを上回る密度になりました。課題に追われ、すべての授業に出る余裕がなくなり、休んだり、後ろの方の席で別の授業の課題をやったり、自分の勉強をしてみたり。
自立を促されていたので夜勤でバイトもするようになりました。
明らかにキャパオーバーでした。僕は大学二年生で学んだ内容の記憶がほとんどありません。
残ったのは修められたことになっていた100に近い単位だけでした。
ぼくは選択肢を広げるつもりでかえって、大学生活の貴重なリソースをなる気もない教職の資格の為に割いてしまっていました。これは明らかな”収束”です。
大学三年、人間関係絡みで問題があったり、ようやくサークルで遊べるようになったことで羽を伸ばしていましたが、ついに”大学四年”がやってきてしまいました。
ここで、僕の人生の、平成と共に歩んできた僕の人生の”答え合わせ”が行われます。
選んでいたようで、受動的に選択させられていた自分のどうしようもなくくだらない人生の収束の結果が今夏、あるいは今年度末に訪れます。
僕は何を選ぶことができるのか。
あるいは何を捨てるのか、何を諦められないのか。
既に悲劇、あるいは第三者から見た哀れなバカの喜劇は目に見えていますが。
平成の終わりに、僕の人生は行き詰ってしまっている感覚に陥っています。
ぼくのPCの液晶には、先日頭がおかしくなってマジックで直接書き込んだ
”たすけて”の文字が白い画面に沈み込んでいます。
勉強してどうにか不安を振り払わなければなりません。
この行き止まり、令和で乗り越えられないだろうか。