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普通の人生

おはようございます。最近コンビニバイトを始めて社会復帰トレーニング中の私です。

今日はいわゆる”普通の人生”として想像されるものと、それを選ぶことについて考察しようかなと思います。

要するにいつもの垂れ流しなので、右から左に流しちゃってください。

 

普通の人生ってどんなものでしょうか?そもそも普通とは何なのか。

とりあえず辞書で引いてみましょう

 

kotobank.jp

特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。

 

たいてい。通常。一般に

 

 

まぁ想像通りの意味ですね。しかして、日本で通常用いられる”普通”にはこれ以上に

”世間の中流”であるという意味があるように思われます。

あとは”普通に美味しい”、”普通にかわいい”等の副詞として用いると、”想定内で(肯定的表現)”といった意味を持っています(推測ですが)。

 

そうすると、”普通の人生”として想像されるものとしては、それが真に日本人の平均的生活でなかったとしても、

「偏差値50~60の普通科の大学を出て、大手でないにしろそこそこの企業にサラリーマンとして生活し、嫁(女性なら旦那)を貰い、年収600万、共働きなら嫁の分と合わせて1500万以上の年間収入が存在する家庭で子供を持って、子供に同じ人生を歩ませる余裕を持ち、退職後子供に見守られて死ぬ」

あたりでしょうか。

はい、どう考えても勝ち組の人生ですが、一般に想像される生活、誰もが普通として一度は思い浮かべたことがある人生はこれです。

これを歩ませるために親たちは、自分がこの普通に人生じゃないにもかかわらず、必死に教育費を捻出したり、学資保険に入れたりしてくれるわけです。

 

しかし、先ほど言った”普通の人生”を歩むためには実際のところ、親の協力はもちろんのこと、本人の努力もある程度必要になって来ます。

何となくで普通の大学に一発で受かることはありませんし、実際に偏差値○○の大学に入る人間はそれよりも+10位の大学を目指して頑張った人間が半分を占めてたりするわけです。

要するに、最初の関門の段階で結構な努力、お金が必要になるわけです。

ここから就職、結婚、子供…と”普通”のハードルをクリアし続けるにはなかなかの努力が必要なわけです。

努力をするには、やはり覚悟が必要になるわけです。

”普通の人生”を歩むという確固たる意志が必要になります。

 

覚悟をを持って努力をするということは、言うなれば選択です。人生における他の選択肢をほぼ完全に切ることになります。

 

子供のころに抱えた夢と、親や世間から迫られる普通の選択との間にはかなり大きなギャップが存在しますね。

 

例えばミュージシャンになりたい位だったら、大学に行ってからでも結構何とかなったりしますが、やっぱりずーーっと演奏してきた人たちとは技術の点で大きな差があったりします。

 

大学に入ってから研究者まで行きたいと思う人間は、就職活動の一歩手前のところで足並みをそろえずに勉強、研究をし続ける必要があるので、一回これを選ぶとほぼ確実に”普通の人生”からは踏み外すことになります。

 

なんとなくなんとなくで生きるには、普通の人生って難しいなあと、思うわけです。

 

 

ぼくにはまだ、普通の人生を歩む覚悟が出来ていませんね。

かといって、夢をかなえる覚悟があるわけでも、ありませんが。