パスタのゆで汁

掃き溜め 物理

勉強が好きなのか、勉強をしている自分が好きなのか?

今回の話は、ずっと考えて来たことです。ようやくまとまったので書きます。

僕が嫌いな言葉として「学力で殴る」という表現があります。

偏差値で殴るとか、得意科目で殴るとかの受験産業の流れを受けた表現です。

元となったこれらの言葉については、あまり嫌悪感はわきません、むしろすっきりと自分の主張を示していて良いと思いさえします。

まぁ僕は偏差値で殴られる側ですがね。

 

ではなぜ学力で殴るという表現が嫌いなのか。それはひとえにタイトルの疑問が存在します。

大体、学力で殴るとかのたまう人間の大多数は数物系の人間です。人文系の人間はそういう勘違いはせずに、大体資格で殴ってきます(怖い)。

数学、物理なんて言うのは元をたどれば貴族の娯楽です。それ以前は、智を愛する哲学から生じたものです。

”より早く、何らかの成果を得る”といった研究の世界は競争かもしれないけれど、これらの数物の世界は競争というよりかは世界に対する興味関心、何かを知ることに対する欲求、楽しさから数物の世界に”入ってしまった”人間がやることだと思います。

勉強が、数学が、物理が好きな人間が色々考えて、中々答えの出ない疑問に悩んで勉強を重ねる事で今までの科学は積み上げられてきているのです、

これらを積み重ねてきた人間に対して憧れを抱くことはあるでしょう。その強烈な生きざまに心を動かされることがあるでしょう。

コレに倣って何かを学ぶ人間がいるでしょう。それは悪い事ではありません。

しかし、ココで矛盾した生き物が発生します。勉強が好きなわけではないのに、勉強を好きだと思い込んで、憧れの人間のまねごとをして楽しむ奴。

”勉強をしている自分が好きな人間”です。

勉強をして周りの人間より優位にありたいとかではなく、勉強をしている自分に酔っている。

「モテモテのサッカー部に憧れて、運動が好きでも得意ってわけでもないのにサッカーの練習をし出す奴」

「女の子にキャーキャー言われたいが為に好きでもない音楽を聞きかじり、ギターを練習してみる奴」

こういう連中とあんまり変わらないどころか、より醜いです。

そして、自分に酔っているので勉強していない、物理や数学を学んでいない人間を見下し始める。自分よりモノを知らない人間を徹底的に見下し始める。

フーリエ展開できない奴は理系じゃない」

とか

量子力学も知らない癖に」

とか言い出す連中が発生するのは大概こういう原理です。

僕が物理を勉強するのが嫌になったのも、というか物理の研究を仕事にしようとするのをやめようと思ったのは、物理を勉強している連中にはこういう連中が多く存在するからです。この人は大丈夫そうかな?とか思うと突然他人にマウンティングしてたりするので油断なりません。こんな連中と一緒に勉強なんぞしてたら身が持たない上に不愉快すぎて全身に蕁麻疹が出ます。

何かを学ぶこと自体は自分の存在を強化するものでも、他人を貶めるための道具でもないでしょうに。

 

タイトルの疑問は、中学生時代の同級生が僕に言った言葉でした。

僕は当時、小学生時代全く克服できなかった算数の問題群が数学の力を用いれば簡単に解けることに感動、心酔して数学にのめりこみました。

中二病と重なって、増長されて「○○の定理は可愛い!」とか言い出してました(痛い…)。それを見かねた同級生が「数学が好きなの?数学をしている自分が好きなの?」と言ってきたのです。僕はこの言葉にハッとして少し考えたのち

「両方かな。」

と答えました。

同級生が満足気に「それなら成功するんじゃないかな」と言ったのを覚えています。

まぁ成功することはなさそうですが、少なくとも、僕に数学が好きな心があることを確認できて彼はそういったのでしょう。

早めにこれを指摘されていたから、僕は増長仕切る前に気付くことが出来ましたが、多くのヒトが気づけていないように思えます。

 

僕も人のことを言えたものでもなく、物理をしている自分が好きなのか、物理が好きなのか、あるいは両方か、自信をもって断言できません。

断言できるまでは、院進も無しっすかね。なんせ自然哲学は

「貴族の遊び」

ですから。